四国(死酷)旅行 with S【Part 2】国道439号(剣山~四万十)
四国2日目。
前日から剣山山頂ヒュッテで一泊し、この日は朝から下山をする。
ヒュッテの朝は早い。
我々と同じように山頂で宿泊していた登山者たちは、6時前から活動を始めていたようだ。その物音で私も目を覚ます。
朝食を軽く済ませ、午前8時に山頂ヒュッテを出発する。昨日とは打って変わって天気は快晴だ。眼下には昨日通った国道438号が細く見える。こうして上からその線形を見下ろすと、よくこんな所に道なんて通したものだと感心せざるを得ない。
山頂から10分ほどで、「刀掛の松」という地点に到達する。昨日は急いでいたためスルーしたが、折角なので記念撮影&スワマー氏はSwarmにチェックイン。電波があって良かったね。
そこからさらに10分ほどで西島駅(リフト)へ。昨日の上りはリフトの力を借りたが、下りは歩いて下山することにする。山頂から計っても40~50分ほどで駐車場に着くことができた。とはいえ元登山部・スワマー氏のニュートン歩法(重力に身を任せ、ブレーキをかけずに爆速で下る歩法)についていくのは簡単なことではなく、その日のうちに筋肉痛になったのは言うまでもない。
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さて、
この日の目標は、国道439号の走破。
国道439号は、418号、425号と並んで「日本三大酷道」と呼ばれており、その走破はこの死酷旅行における最大の目標であった。
国道438号と439号の分岐は、剣山登山口の駐車場のすぐそばにある。初日に剣山に泊まったのは、2日目に朝から439号を出発できるようにするためでもあった。もっともこの目論見は、とある勘違いにより大外れしてしまうことになるのだが、それについては【Part 4】あたりで後述するつもりだ。とにもかくにも分岐の瞬間からこの幅員。先が思いやられる。
国道439号に入ってすぐに、我々はその洗礼を受けることになる。ガードレールのない1車線道路に、心細いカラーコーンが立っている。標識界の絶滅危惧種「警笛鳴らせ」も、439号では健在である。
程なくして、奥祖谷の二重かずら橋に着いた。かずら橋は蔦や木でできた吊り橋で、 奥祖谷には「男橋」「女橋」という2本の橋が架けられている。
この付近にはキャンプ場があるらしく、(物理的には)川に飛び込むことも可能だ。滝壺は結構深いらしい(スワマー談)。
かずら橋の近くには「野猿」と呼ばれる人力のロープウェイも架かっている。
かずら橋を後にし車を少し走らせると、国道沿いに大量のかかしがある「天空の村・かかしの里」が現れる。
かかしは相当リアルにできているので最初見たときはびっくりすると思う。
「かかしの里」と呼ばれる名頃集落は、人口30人ほどの小さな集落だが、地元の方が作り始めたのがきっかけで、今では多くの観光客が訪れるそうだ。
この辺りは「祖谷」と呼ばれる地域で、私は知らなかったのだが観光資源が豊富にある。近くにある「大歩危(おおぼけ)駅」は、某界隈では難読地名としても有名だ。
次に向かったのは、「奥祖谷観光周遊モノレール」。これは一周するのに1時間以上かかるモノレールなのだそうだ。女王氏が気になると言っていたスポットなので、行くしかないだろう、ということで向かったのだが、、、
なんと、モノレールの乗車券は販売終了してしまっていた。
時刻はまだ午前10時ごろだったのだが、ここも有名な観光スポットらしく、私たちが到着する少し前に終了してしまったようだ。
そう。これが、私が「定休日」を名乗る理由である。
モノレールに乗れなかったのは少し残念だが、これで再び来る理由が出来たわけだ。しかも時間短縮にもなる。気持ちを切り替えて前に進もう。
だが、その前向きな気持ちすら打ち砕く出来事が起こってしまう。
それは、高知県に向かう道の途中で起こった。
狭い所でマイクロバスが対向してきたので、バックしながら道を譲ろうとした時、ハンドルを切りすぎて車の左前方をブロック塀に擦ってしまった。
レンタカーに傷を付けてしまったのだ。
時間が経ったから何とか記事にできるものの、これで私の心は粉々に砕かれた。
警察に通報し、事故処理をしてもらう。保険に入っていたので賠償請求はされなかったが、処理手続きで1時間ほどとられてしまい、モノレールの時間短縮は水泡に帰した。
もちろんその場でも謝ったが、改めてこの場で謝罪の意を表したい。
すまん、スワマー、、、。
だが、ここまで来て帰るわけにもいかない。我々は既に高知県に宿をとっている。悲しくても進むしかない。
とりあえず運転はスワマー氏に代わってもらった。
国道439号は、重複区間を除くほとんどの部分が酷道区間となっている。どうしてこんな道が国道指定されたのかは知らないが、その中でも徳島県と高知県の県境である「京柱峠」は、1~2を争う最酷道区間である。私たちが訪れた日は、1車線道路の路肩が崩壊し、4トン以上の車の通行が禁止されていた。また、一部の区間は全面通行止になっており、迂回して京柱峠に向かった。
ちなみに全面通行止区間はこんな感じになっていたらしい。
(Google マップ) (Google マップ)
四国に限らず南日本は皆そうなのかもしれないが、山の高いところまでポツポツと民家が存在するのが印象的だった。雪深い北日本ではできない住み方に関心を持つとともに、現代日本でそのような場所に住むためには、相当な運転スキルが必要だろうと感じた。
京柱峠区間を抜けしばらく走ると、センターラインが現れる。久し振りの2車線区間だ。
2車線区間が始まった瞬間、目を疑うものが飛び込んでくる。
ん!?
何だ?道路右側の天に向かってそびえ立つものは、、、!?
作画崩壊レベルの坂だ。これまで見てきた中でもトップクラスの激坂だ。
予期せぬ激坂との邂逅に、思わず車を停めて記念撮影をする。
上から見下ろすと、まるで転がり落ちそうな錯覚に陥る。
こんな坂があるなんて知る由もなかったし、発見したのも全くの偶然だが、良い坂に巡り合えて幸運だった。
その後、国道439号は国道32号と合流し、大豊町で分岐する。いの町で194号と約6kmだけ重複し、再び分岐。さらに仁淀川町で国道33号と約6km重複し、分岐してやや南へ向かう。四国中央部の山あいの町村部を横断する区間だが、以外にもほとんどが2車線の快適な道路で、距離を稼ぐことができた。
ただし四国では、国道区間が重複するときは二重おにぎりにはせず、数字の小さいほうの国道番号のみを表示する傾向があるので、注意が必要だと感じた。
仁淀川町と津野町の境・矢筈峠が迫ってくると、439号は再び酷道の様相を呈し始める。
峠の手前で「四万十源流点」の案内標識があり、気になったので寄り道することにした。
矢筈トンネルの入口から20分ほど走ったと思う。四万十川源流の碑に辿り着いた。
ここから本当の源流点までは歩いて25分程かかるらしい。我々はあまり時間がないので、碑の建っているところで妥協させてもらう。ついでにここで水分補給。
清流の水を飲んでMP回復。
津野町から四万十町大正地区までは、所々2車線部分があるが、基本的にはセンターラインのない1車線だ。場所によっては、1週間のうち5日は通行が規制されている区間もあるらしい。この日は土曜日だったので、規制には引っかからずに済んだ。
道の駅「四万十大正」に立ち寄る。この道の駅からは四万十川の河原に降りることができる。河原はゴツゴツした大きな岩が多い。沈下橋が流されたのだろうか、川に向かって張り出した道路がいきなり途切れている。
そうこうしているうちに日が暮れてしまった。
暗闇の中を大正地区から四万十市に向かって走ることになる。
2人でいるのが唯一の救いだったが、暗くなってからの酷道は恐怖以外の何物でもない。
恐ろしさのあまり、写真を撮るのを忘れてしまった。
結局、四万十市に着いたのは20時過ぎになった。
中村駅前の国道56号との交差点が、国道439号の終点だ。写真はボヤけてしまったが、辛うじて「439」の数字が読み取れる。
酷道439号、完走だ。
寄り道も多少したとはいえ、朝8時に出発しても日没に間に合わなかった。
1日での移動は恐らくこれが限界なんだろう。
疲労感と達成感が同時に襲い掛かる。
道の狭さもさることながら、「長さ」こそ439号が日本三大酷道たる所以だと思う。
夜は四万十市街のアーケードでラーメンを食べ、民宿に泊まった。
この日の移動ログはご覧の通り。どころどころGPSが途絶えているものの、おおよそ正確にログをとることができた。
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